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高知地方裁判所 平成6年(行ウ)2号 判決 1998年7月17日

主文

一  被告は、十和村に対し、金六〇〇万円及びうち金三〇〇万円に対する平成五年四月一七日から、うち金三〇〇万円に対する平成五年五月二六日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

理由

一  請求の原因1の事実、請求の原因2(一)の事実、請求の原因3(一)のうち、十和村が平成五年五月二五日、大井河神社社殿の修復工事の費用のうち三〇〇万円を十和村の公金から補助金として支出した点、請求の原因4(一)のうち、平成五年四、五月当時、被告が十和村の村長として同村の予算を執行する権限を有しており、同権限を行使して本件補助金1及び同2についての支出命令を発令し、その支出を行わせた点、請求原因4(二)のうち、被告が、宗教法人八幡宮に対し本件補助金1相当額の金員等について、宗教法人大井河神社に対し本件補助金2相当額の金員等について、損害賠償請求又は不当利得返還請求等を行わなかった点、請求の原因5の事実については、当事者間に争いがない。

二  《証拠略》によれば、左記の各事実を認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

1  八幡宮

十和村は、高知県幡多郡にある普通地方公共団体であり、大小併せて一九の部落から成り、古城部落はその一つである。十和村の人口は、現在、四千人弱であり、最も人口の多かった時期の約半数になっている。各部落には一つ又は二つの神社があり(合計二三社)、これら神社のうちには、宗教法人法による法人格を有するものもあるが、有しないものもある。

八幡宮は古城部落にある神社であり、その起源は寳歴二年(一七五二年)にさかのぼるものと考えられる。八幡宮は、昭和二八年六月一三日に宗教法人法による法人格を取得して、田辺英夫(神官)を代表役員とし(平成三年八月一九日就任)、主たる事務所を十和村古城一三七六番地に置いて、同所に土地(境内地)を所有し、同地上に八幡宮社殿のほか清浄人おこもり屋、宝物庫などの付属建物を所有し、また、祭具など(宝物庫に保管)を始め若干の動産を所有している。

八幡宮社殿は一棟の建物であり、内部は本殿と拝殿に分かれているが、それは単に内部で仕切られているにすぎず、本殿と拝殿は不可分一体の建物を構成している。位置関係としては、建物の中の仕切りより奥が本殿であって、本殿に後記の祭神が祭られており、本殿に対する次の間、控えの間というべき位置に拝殿がある。拝殿の前が、通常、一般人が礼拝する場所である。八幡宮社殿については、大井河神社社殿を始め十和村にある他一九の神社の社殿とともに、平成四年九月一七日、同村の教育委員会から同村の文化財保護審議会に対し文化財指定についての諮問がなされ、平成六年三月三一日に答申が出て、平成七年六月三〇日、十和村の保護有形文化財に指定された。

宗教法人八幡宮の目的は、応神天皇、大山津見神を奉斎し、公衆礼拝施設を備え、神社神道に従って祭祀を行い、祭神の神徳をひろめ、八幡宮を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を教化育成し、社会の福祉に寄与し、また、八幡宮の目的を達成するための財産管理その他の業務を行うことである。八幡宮の基本財産の総額は一五万二五〇〇円であり、境内建物、境内地及び宝物の処分等については、役員会の議決を経て、役員が連署の上、包括団体である神社本庁の統理の承認を受ける旨定められている。

八幡宮の年間の主要な行事は夏祭り及び秋祭り(一〇月三一日)であり、毎年ではないが秋祭りの際に幡多神楽が舞われ、毎年秋祭りに花取り踊りが踊られているが、年間を通じて他に特に行事はなく、氏子を集めて神官が神の教えを述べるというようなことはない。神事は、神官が主宰し、式目(神事の式次第)に則って、本殿において執り行われる。夏祭りや秋祭りに先立っては、八幡宮の氏子総代長と古城部落の区長を兼務する人物が先頭に立って、八幡宮の氏子らに対し、祭りに参加するよう呼びかける。

2  古城部落と八幡宮との関係

古城部落では、部落総会で部落の区長を選任し、その区長が八幡宮の氏子総代長を兼務することになっている(「氏子総代」は「神社総代」とも「宮総代」ともいい、八幡宮の氏子総代は五人いて、うち一人が総代長となる。)。平成四年度の区長兼氏子総代長は、安藤晴義(平成五年二月に死亡)であった。また、安藤晴義は、十和村の集落活性化推進事業の一環として各部落に作られた「集落づくり推進委員会」(以下「推進委員会」といい、同委員会の委員長を「推進委員長」という。)の、古城部落の推進委員会の平成四年度の委員長であった。同年度の副委員長は芝孝義である。

ところが、古城部落は、十和村では昭和部落、十川部落、大井川部落に次いで四番目に戸数の多い部落であり、戸数は六七戸、人数は二百数十人程度である。古城部落を構成する戸のうち、葬式を神式で行う戸(神道の信者と考えられる。)は全体の六割程度であり、残りの大部分は仏式で葬式を行う戸(神仏渇淆と考えられる。)である。さらに、かつて創価学会の信者もごく少数居住していたこともあった。しかし、古城部落では、住民はすべて八幡宮の「氏子」として取り扱われており、従前、この取扱いに対し、少なくとも明確に異議を述べた住民はいない。

古城部落では、八幡宮の祭りの費用として、部落の各戸から年額一〇〇〇円(平成元年ごろ以降の金額)を徴収しており、宗派を問わず古城部落の全戸がこれを支払っている。また、本件工事1(八幡宮社殿の修復工事)の工事代金の一部の代りとして、部落住民の全員が一人少なくとも一日、右工事の人夫に出た(これを「ヒツ役」という。)。さらに、八幡宮の氏子は、八幡宮の夏祭りや秋祭りに参加して、神輿を担いだり、境内で花取り踊りを踊ったり、それを見物したりする(古城の花取り踊りは、氏子のうち子供から中年の人が二十人程度で舞う。しかし、神楽を舞うのは八幡宮の氏子ではなく、幡多神楽保存会の会員である。)。八幡宮の神職であった故平野寿明神官は幡多神楽の正統の継承者であり、祭りの際には自ら幡多神楽を舞った。神社の近くには部落の集会所があるが、そこで神楽や花取り踊りの練習がされることはない。これら祭りにおいて、神事を行うのは神官であるが、祭り全体を取り仕切るのは氏子総代長を中心とする氏子らである。

3  大井河神社

大井河神社は、十和村の集落の一つである大井川部落にある神社であり、起源は寶暦七年(一七五七年)にさかのぼると考えられる。大井河神社は、昭和二八年五月二六日に宗教法人法による法人格を取得し、伊東史訓(神官)を代表役員とし(昭和五九年五月二五日就任)、主たる事務所を十和村大井川二二二六番地に置いて、同所に土地(境内地)を所有し、同地上に大井河神社社殿ほか付属建物(清浄人おこもり屋、宝物庫など)を所有しているほか、神輿二体、幟、神輿を担ぐ際の衣装など(宝物庫に保管)を始め若干の動産を所有している。

大井河神社社殿は一棟の建物であり、内部は本殿と拝殿に分かれているが、それは単に内部で仕切られているにすぎず、本殿と拝殿は不可分一体の建物を構成している。位置関係としては、建物の中の仕切りより奥が本殿であって、本殿に後記の祭神が祭られており、本殿に対する次の間、控えの間というべき位置に拝殿がある。拝殿の前が、通常、一般人が礼拝する場所であるが、祭りの際には拝殿の中に入って、本殿の敷居の前で礼拝する。大井河神社社殿については、八幡宮社殿を始め十和村にある他一九の神社の社殿とともに、平成四年九月一七日、同村の教育委員会から同村の文化財保護審議会に対し文化財指定についての諮問がなされ、平成六年三月三一日に答申が出て、平成七年六月三〇日、十和村の保護有形文化財に指定された。

宗教法人大井河神社の目的は、宇賀魂大神、猿田彦大神ほか八柱の大神を奉斎し、公衆礼拝施設を備え、神社神道に従って祭祀を行い、祭神の神徳をひろめ、大井河神社を崇敬する者及び神社神道を信奉する者を教化育成し、社会の福祉に寄与し、また、大井河神社の目的を達成するための財産管理その他の業務を行うことである。大井河神社の基本財産の総額は一二万円であり、境内建物、境内地及び宝物の処分等については、役員会の議決を経て、役員が連署の上、包括団体である神社本庁の統理の承認を受ける旨定められている。

大井河神社においても、八幡宮と同様、年間の主要な行事は夏祭り及び秋祭りであり、その際に八社神楽が舞われ、秋祭りには大井川の花取り踊り(太刀踊りともいう。)が奉納されるが、年間を通じて他に特に行事はなく、氏子を集めて神官が神の教えを述べるというようなことはない。神事は、神官が主宰し、式目(神事の式次第)に則って、本殿において執り行われる(所要時間は三、四十分)。

4  大井川部落と大井河神社との関係

大井川部落の戸数は百三十四、五戸であり、人数は五百人近く、前記2のとおり、十和村では三番目に大きな部落である。古城部落と同様、大井川部落を構成する戸のうち、葬式を神式で行う戸(神道の信者と考えられる。)は全体の半数程度であり、残りの大部分は仏式で葬式を行う戸(神仏混淆と考えられる。)であって、さらに、創価学会やキリスト教等の信者もごく少数(一割前後)居住している。しかし、大井川部落では、住民はすべて大井河神社の「氏子」として取り扱われており、従前、この取扱いに対し、少なくとも明確に異議を述べた住民はいない。

平成四年度、大井河神社の氏子総代は平野幸雄、竹内義記及び岡田尚であり、平野幸雄が総代長であった。また、平成四年度、大井川部落の区長は西山喜勝、副区長は竹内義記であり、推進委員長は竹内義記であった。右のとおり、竹内義記は、大井川部落及び大井河神社の主要な役職を兼務しており、さらに、被告の村長選挙の際の後援会の副会長を勤めたことがある。

大井河神社の年中行事は夏祭り(七月一五日)及び秋祭り(一一月一五日)で、その際、伊東史訓神官及び幡多神楽保存会の会員によって八社神楽が舞われる。夏祭りには神宮が神事を行った後、神輿を拝殿に二体並べて飾り、それから境内を担いで歩き、その後、八社神楽が舞われる。秋祭りにも神官の神事が行われ、神輿を拝殿に飾り、それから神輿を担いで歩くが、境内には留まらず、境内から外まで担いで出る。神輿担ぎが終わった後、花取り踊り(太刀踊り)をし、その後、神楽を舞う。さらに、その後、皆で餅投げをする。神輿は、氏子が担いで練り歩く前に、いったん拝殿に置かれるが、これは神が乗り込むのを待つ趣旨である。また、神輿が境内や部落内を練り歩いて戻った後も、いったん拝殿に置かれるが、これも、神が神輿から降り、本殿に戻るのを待つ趣旨である。神楽が舞われるのもまた、神を楽しませる催しの趣旨である。

前記のとおり、大井川部落を構成する百三十四、五戸のうち、創価学会の信者等十二、三ないし十四、五戸を除いて、その他は全戸が神社の行事に一応参加する。しかし、少なくとも創価学会の信者の戸は、祭りの費用は負担するが、夏祭りや秋祭りには参加しない。祭りの費用は、大井川部落の全戸に均等に割り当てられる。祭りには四、五十名の氏子が出る。大井川部落には八つの組があり、各組から二、三人は祭りに出て、回り持ちの当番をして、料理を作ったり、神輿を飾ったり、神輿を担いだりする。大井川部落の住民は、神楽を舞うことはせず、見物するだけであるが、花取り踊り(太刀踊り)は住民自ら踊る(大人が大太刀を持ち、子供が小太刀を持って、二十人程度で境内で踊る。大井川部落には花取り踊りの保存会がある。)。神楽を舞うのは、伊東史訓神官と幡多神楽保存会の会員である。かつて大井河神社の神職にあった故中平正富神官は、八社神楽の正統な継承者であった。

祭りの当日はもとより、祭りの準備及び後始末等に際して、各組の代表者、幡多神楽保存会や花取り踊り保存会の人々などが集まり、大井河神社社殿の拝殿で話をしたり、酒を飲むことがある(人数が少ないときは、拝殿でなく、清浄人おこもり屋を使うこともある。)。また、農繁期が終わった後、有志が集って、右同様に拝殿又は清浄人おこもり屋で会話や飲酒を楽しむことがある。大井河神社の近くには部落の集会所があり、推進委員会の会合は右集会所で行うが、祭りの前後の話合い等には拝殿又は清浄人おこもり屋を使う。

5  十和村集落活性化推進事業

(一)  「集落づくり」事業

十和村集落活性化推進事業は、被告の前任の津野村長の時代から行われていたが、被告は、右事業の一環として、平成三年度から新たに「集落づくり」という名称の事業を設けた。「集落づくり」事業は、十和村のような農山村では、若者の都会流出に加えて、人口の自然減少により、総人口が減少する一方、老齢者人口は増加するという傾向が増大し、小集落では集落の維持そのものが困難になる可能性が高いという考慮から、自分の集落は自分で考えて自分で作ることを目的とするものである。また、「集落づくり」事業は、右目的のため十和村内の部落が行う事業に対し補助金を交付することを内容とし、対象事業の事業費が四〇〇万円以下の場合は事業費の七五パーセントの金額を、事業費が四〇〇万円を超える場合は三〇〇万円を、それぞれ補助金として交付するものである。

「集落づくり」事業については、村役場の指導により、前記2のとおり、部落の活性化を部落の住民自身が考えて計画することを目的とする、集落づくり推進委員会(前記の推進委員会)が各部落ごとに作られた。推進委員会の委員数は部落によって異なるが、委員数二十名ないし二十五名程度の部落もあり、大井川部落のように委員数約五十名という部落もあった。「集落づくり」事業に基づく補助金は、各部落の区長が十和村に対し、補助金交付の対象事業の内容、事業費、対象場所等を明らかにした申請書(計画書)を提出して、補助金交付を申請をし、これについて十和村によるヒアリングが行われた後、補助金交付の許否が決定される。

平成三年度ないし五年度の「集落づくり」事業の総予算は、各年度数千万円にのぼった。同事業については、各部落が負担金を出している。

(二)  違憲の批判

ところで、十和村は、平成三年度の「集落づくり」事業において、久保川部落の「天神宮神社整備」、都賀部落の「河内神社瓦葺き替え」、戸川部落の「お神輿保管庫、お神輿修理」、川口部落の「お宮進入路整備」に補助金として公金を三〇〇万円ずつ支出した。

そこで、平成四年九月一四日に開催された十和村村議会において、議員である竹内寿正から、十和村に対し、右の四事業に公金を支出することは憲法の政教分離原則に違反するのではないかという一般質問がなされた。これに対し、当時村長であった被告は、神社は神道に属するが、これを補助することによって、個々の教義について援助したり活動を強めたり、他の宗教に影響を与えることはなく、また、憲法上議論のあるところであるが、文化遺産の保護等のために必要であるという趣旨の答弁をした。なお、右論議の対象となった右各神社は、前記1のとおり、当時はいずれも有形文化財に指定されていなかった。

ちなみに、被告が村長に就任するより前にも、十和村内の部落から公金で地元の神社を修復してほしい旨の希望が出たことがあったが、当時の村長は違憲の疑いがあるとして拒否していた経緯がある。

(三)  幡多神楽殿

ところで、平成三年度、十川部落にある星神社の敷地内に、高知県及び十和村の補助金により、神楽の練習所(以下「幡多神楽殿」という。)が建築された。同補助金の交付を受けたのは幡多神楽保存会であり、同会は、故平野寿明神官を中心として、幡多神楽を伝承していくために作られた任意団体であって、特定の神社には所属しない。幡多神楽保存会に所属する人の職業、居住部落等は様々であるが、何らかの形で神道と関係のある人々の集まりであり、神道の一派である黒住教の信者が半数程度を占める。十和村には、幡多神楽保存会のほか、神楽の保存会は存しない。

幡多神楽殿ができてからは、幡多神楽保存会の練習は同神楽殿で行われている。幡多神楽殿(建物)は未登記であり、星神社の敷地内に建てられているが、幡多神楽殿の所有者は幡多神楽保存会であって、宗教法人星神社ではない。また、幡多神楽殿は神楽の練習に使用されるのみであり、星神社の祭礼等の神楽は、星神社の社殿の拝殿で舞われ、幡多神楽殿で舞われることはない。さらに、星神社の社殿は小高くなった土地上に建てられており、同社殿の敷地と下の土地との行き来のため階段が設けられているが、幡多神楽殿はその下の土地、すなわち右社殿敷地よりはかなり低い土地上に建てられている。

ところが、幡多神楽殿の例を見て、十和村内から、神楽の練習所を公金で作ってもよいのなら、八幡宮社殿や大井河神社社殿を始めとする村内の神社の拝殿も、神楽が舞われる舞台であり、かつ神楽の練習に使うものなのだから、公金で修復してもよいではないか等々の声が上がるに至った。

6  本件補助金1の交付等、本件工事1の発注、内容等

八幡宮社殿は、昭和三三年に屋根改造瓦葺替補修工事(公金支出はなかった。)が行われた後、補修されておらず、屋根瓦が傷んでいたので、雨漏りがひどくなっていたことから、平成元、二年ごろから部落住民の間で修復工事の必要が指摘されていた。しかし、古城部落では過疎化、高齢化により右修復工事費用の調達が困難である等の理由から、同費用に充てるため、本件補助金1を申請することになった。

そこで、平成四年九月一八日、当時の古城部落の区長であった安藤晴義が、十和村に対し、右事業の計画書を提出し、同年一〇月一四日、十和村によるヒアリングが行われ、安藤晴義が出席した。その後、被告は、平成四年度の「集落づくり」事業の一環として、「伝統文化の里づくり事業」という事業の概要名で、平成五年四月一六日、八幡宮社殿の修復工事の費用四〇五万円のうち三〇〇万円を、補助金(本件補助金1)として村の公金から支出することを命じた。そして、本件補助金1は、同日、当時の古城部落の区長であった芝孝義(平成四年一二月に区長に就任)の請求により支出された。

安藤晴義は、平成四年一二月一九日、大工である吉良正人(古城部落居住)に対し、本件工事1を発注し、請負契約を締結した(当時、安藤晴義が古城部落の区長、氏子総代長及び推進委員長を兼務していた。)。請負代金額は四〇五万円で、うち三〇〇万円には本件補助金1が充てられ、残額一〇五万円には、前記2のとおり部落の住民全員がヒツ役をつとめた労賃を充て、それでも足りない分は部落内で寄付を得て支払った。

右工事によって、八幡宮社殿(本殿及び拝殿)全体の屋根葺替え(総面積一六八・五〇平方メートル)が行われたが、前記1のとおり、八幡宮社殿の本殿及び拝殿は一棟の建物であって、屋根も一連のものであるところ、屋根のうち拝殿部分に当たる面積は二三・九〇平方メートルにすぎず、本殿部分に当たる割合の方が大きかった。

過去において、八幡宮社殿の修復工事は部落内で金を出し合って行っており、八幡宮社殿の修復工事について公金の支出を得た例は、本件補助金1より前にはない。

7  本件補助金2の交付等、本件工事2の発注、内容等

大井河神社社殿の大がかりな修復は、本件工事2まで数十年間なされていなかった(昭和五三年ごろ、鳥居の新築又は修復が一四〇万円弱かけて行われているが、これに公金は使われていない。)。そのため、大井河神社社殿の屋根瓦は傷んでおり、雨漏りがひどくなっていたことから、大井川部落の住民の間で修復工事の必要が指摘されていた。しかし、八幡宮と同じく、過疎化、高齢化により修復工事費用の調達が困難である等の理由から、右工事費用に充てるため、本件補助金2を申請することになった。

そこで、平成四年一〇月二〇日、当時の大井川部落の区長であった西山喜勝が、十和村に対し右事業の計画書を提出し、同日、十和村によるヒアリングが行われた。同ヒアリングには、当時、大井川部落の推進委員長兼副区長であり、かつ大井河神社の平総代であった竹内義記が出席し、西山区長は出席しなかった。同ヒアリングにおいて、竹内義記は十和村の当局者に対し、大井河神社社殿の修復に補助金を出してほしい旨説明した。また、竹内は、大井川部落に居住する神道以外の宗教の信者の反応を聞かれたので、竹内自身、右補助金申請に不満を持つ創価学会の信者に対し、今のうちに右屋根の修復工事をしておかないと、雨漏り等により屋根のみならず社殿全体が傷んで、そのうち社殿全体を建て替えざるを得ない状況に至る等述べて説得したことがある旨、また、他にもそのような不満、これに対する説得はあったと思われる旨述べ、最終的には、他宗教の信者からも一応の了解は取り付けてある旨答えた。実際には、それより前に大井川部落の推進委員会において、右補助金を申請すると、他宗教(主として創価学会)の信者から不満が出るのではないかという懸念が出て、委員らが他宗教の信者の了解を取り付けるべく努力した結果、右ヒアリングが行われた時点では、右補助金申請に対し、少なくとも表向きに反対する住民はいなかった。

その後、被告は、平成四年度の「集落づくり」事業の一環として、「伝統文化の里づくり事業」という事業の概要名で、平成五年五月二〇日、大井河神社社殿の修復工事費用の一部として三〇〇万円を、補助金(本件補助金2)として村の公金から支出することを命じた。本件補助金2は、同月二六日、当時の大井川部落区長であった西山喜勝の請求により支出された。そして、右修復工事につき、岡田建設こと岡田朝徳との間において請負契約が締結され、請負代金のうち三〇〇万円が本件補助金2から支払われた(同請負契約については、当時の区長であった西山喜勝を発注者とする乙第二七号証の一及び乙第三四号証と、当時の大井河神社の氏子総代長であった平野幸雄を発注者とする甲第一二号証がある。)。なお、右修復工事については、原告国沢未春から同工事費用のうち一〇〇万円を寄付する旨の申出があったが、既に本件補助金2の支出が決定された後であるという理由で、右寄付の申出は受け入れられなかった。

ところで、前記3のとおり、大井河神社社殿(本殿及び拝殿)も、八幡宮社殿と同じく一棟の建物であって、屋根も一連のものであるところから、屋根の葺替えは社殿の全体に及び(総面積二〇七・六〇平方メートル)、また、社殿の外壁工事(一四〇・八〇平方メートル)も、本殿の北側、本殿及び拝殿の東側全体に及び、南側も一部が補修された。そして、床板の一部も取り替えられ、建具、階段が修復された。

8  神楽と花取り踊り

神楽は、神事芸能の一種であり、神座に神を招いて大鼓、笛などではやし、歌舞してつつしむ鎮魂、招魂の儀式が、次第に芸能の要素を加えたものであるとされる。

ところで、十和村には、二つの神楽が伝承されている。一つは八社神楽で、十和村の神社のうち八つの神社が秋の神祭に奉納するので、八社神楽と呼ばれる。その演目は一〇演目であり、所要時間は一時間程度である。もう一つの神楽は、十和の大神楽(幡多神楽)である。この神楽は高岡郡梼原と東津野に伝わる津野山神楽の流れを汲むもので、その演目は二一演目であり、全部を舞い終わるには数時間を要する。この神楽は、秋の神祭などで舞われるが、二一演目全部が舞われることはほとんどなく、通常、一部のみが舞われている。これら神楽は、最近、十和村内の神社で舞われるのみならず、十和村外の神社や、神社以外の場所でも催し物のイベント等として舞われるようになった。

また、花取り踊りも、神社境内で踊られるだけでなく、催し物のイベント等として踊られるようになった。

三  そこで、まず、請求の原因2、同3のうち、八幡宮、大井河神社が憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」、同法二〇条一項後段にいう「宗教団体」であるという点について判断する。

1  憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」、同法二〇条一項後段にいう「宗教団体」とは、いずれも特定の宗教の信仰、礼拝又は普及等の宗教的活動を行うことを本来の目的とする組織又は団体を指すものと解される。

そして、右二のとおり、八幡宮、大井河神社いずれも、礼拝の対象である祭神、これを礼拝する氏子の集団を有しており、氏子の長である氏子総代長が氏子の集団を統率し、さらに祭司たる神官がいて、その神官が神道の定める祭式に則って祭祀を執り行っている。また、八幡宮、大井河神社いずれも、境内地上に社殿を有し、同社殿は祭神の座所とされ、礼拝の施設となっている。さらに、右両神社は、宗教法人法に基づく法人格を取得している。

右の事実によれば、八幡宮、大井河神社はいずれも、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」、同法二〇条一項後段にいう「宗教団体」であると認められる。

2  ところで、被告は、八幡宮及び大井河神社は、自然宗教に由来するものであって、キリスト教や仏教のような教祖、教義、教典を持たず、神官が祭祀を行ってはいるものの、布教宣伝などの宗教的活動をしていないから、「宗教上の組織若しくは団体」、「宗教団体」とはいえない旨主張する。

しかし、「宗教上の組織若しくは団体」、「宗教団体」には、その歴史、環境等に応じて種々様々な態様のものが見られるのであって、被告主張のごとく、教祖、教義、教典を持つもの、積極的な布教宣伝活動をするものに限られるわけではない。被告の右主張は、「宗教上の組織若しくは団体」、「宗教団体」の範囲を極めて狭く限定的に解釈するものであり、採ることはできない。

もっとも、被告の主張するとおり、神道は、キリスト教や仏教を始めとする他宗教より我が国の習俗に溶け込んでおり、そのため宗教性が希薄になっている感じを与えないではない。しかし、日本国憲法の制定経緯に照らせば、同法二〇条、八九条にいう「宗教」とは神道を第一に念頭に置いたもの、少なくとも神道を明確に意識したものであると言わざるを得ず、これにかんがみれば、八幡宮や大井河神社が教祖、教義、教典を持たず、夏祭りや秋祭り以外に特に活動を行っていないからといって、そのことのみから右両神社が「宗教上の組織若しくは団体」、「宗教団体」でないとはいえず、他に右1の認定を覆すに足りる証拠はない。

四  次に、請求の原因2のうち本件補助金1が八幡宮の維持のために支出されたという点及び請求の原因3のうち本件補助金2が大井河神社の維持のために支出されたという点について、併せて判断する。

1  前記二で認定した事実によれば、左記(一)ないし(五)のとおりいうことができる。

(一)  本件補助金1は八幡宮社殿(本殿及び拝殿)の修復工事費用として、本件補助金2は大井河神社社殿(本殿及び拝殿)の修復工事費用として、それぞれ使途を明示して十和村に対し申請され、ヒアリングの際にも十和村の当局者から使途についての質問があったもので、十和村は神社の社殿(本殿及び拝殿)の修復費用という使途を十分認識した上で右各補助金を支出したものである。

(二)  また、現実にも、本件補助金1の全額が八幡宮の社殿(本殿及び拝殿)の修復工事費用として使用され、本件補助金2の全額が大井河神社の社殿(本殿及び拝殿)の修復工事費用として使用されている。

(三)  さらに、本件補助金1及び同2の金額はそれぞれ三〇〇万円であって、それ自体としても少なからぬ金額である上、本件補助金1が八幡宮社殿の修復工事の費用全体に占める割合は約四分の三に及び、本件補助金2が大井河神社社殿の修復工事の費用全体に占める割合も二分の一を超える。

(四)  そして、八幡宮にとってその社殿(本殿及び拝殿)は、また、大井河神社にとってその社殿(本殿及び拝殿)は、それぞれ祭神を安置し、祭祀を行い、礼拝する等の宗教上本質的かつ重要な行為を行う場所であり、それぞれの宗教上の目的を達成するために必要不可欠な恒久的施設である。

(五)  また、八幡宮、大井河神社いずれも、従前は、それぞれの氏子が費用を出し合って、それぞれの神社の社殿の修復工事を始めとして、神社の維持につとめてきたものであるが、本件では、過疎化、高齢化により、部落内でそれぞれ右工事費用を調達することは不可能であるという理由から、右各補助金を申請し、その交付を受けたものである。

2  ところで、原告は、本件補助金2の交付先は宗教法人大井河神社である旨主張するので、これについて検討する。

(一)  本件補助金2の請求書に記載されている請求者及び同領収書に記載されている領収者は西山喜勝である。西山喜勝は、平成四年度には、大井河神社の氏子総代をつとめてはいなかった。

一方、平成四年当時の宗教法人大井河神社の代表者は、同神社の神官である伊東史訓であり、伊東史訓の氏名は、右書証を始めとする関連の書証には一切記載されていない。

(二)  しかし、本件補助金2に関するヒアリングに出席したのは、区長たる西山喜勝ではなく、大井川部落の平成四年度の推進委員長、副区長、大井河神社の平総代を兼務していた竹内義記である。

また、乙第二七号証の一及び乙第三四号証(大井河神社社殿の修復工事の請負契約書)には、注文者として西山喜勝の氏名が記載されているが、甲第一二号証(同じく大井河神社社殿の修復工事の請負契約書)には、注文者として大井河神社の平成四年度の氏子総代長であった平野幸雄の氏名が記載されている。そして、《証拠略》によれば、甲第一二号証の請負契約は、大井川部落の西山区長と大井河神社の氏子総代長である平野幸雄との話合いにより、具体的工事は神社が進めるのがよいであろうという合意に基づいて、氏子総代長平野幸雄と建築業者との間で締結されたものである。

(三)  ところで、大井川部落では、一応、住民全員が大井河神社の氏子とされているが、実際には、住民のうち、<1>正に神道の信者と考えられる者(葬式を神式で行う者)は半数程度であり、<2>それ以外の住民の大部分は神仏混淆と考えられる者(葬式は仏式で行うが、神道の儀式に列席すること等に特に抵抗はないと考えられる者)であって、<3>残り一割程度が明らかに神道以外の宗教(創価学会、キリスト教等)の信者と考えられる者である。

そして、右<1><2>と右<3>とでは大井河神社の行事に対する対応が異なり、<3>は、同神社の行事の費用等(大井川部落の戸ごとに均等に割り当てられる同神社の夏祭りや秋祭りの費用等)の負担は特に拒否しないが、それ以外には同神社の行事に参加しないのに対し、<1><2>は右費用を負担するのはもとより、それ以外にこれら祭りに何らかの形で参加しているばかりか、左記(四)のとおり、神官や幡多神楽保存会の専門的領域を除けば、これら祭りを取り仕切っているのは<1><2>である。

また、右(二)のとおり、本件工事2の請負契約は、大井川部落の区長の同意の下、大井河神社の氏子総代長と建築業者との間で締結された。さらに、大井川部落内の創価学会の信者の中には、十和村の補助金により大井河神社の社殿修復を行うことについて不満を有している者がいた。

右の各事実によれば、大井川部落の住民集団と大井河神社の氏子集団の構成員はほぼ同一であるものの、右両集団には差異があるというべきである。ちなみに、大井川部落は行政区画ではなく、法人格を有するものでもなく、大井川地区に居住する住民の集団にすぎないから、大井川部落すなわち右住民集団であると解される。

(四)  ところで、大井河神社の夏祭り、秋祭りの際には、神事(大祓詞や祝詞を上げる等)は神官が執り行い、神楽は神官及び幡多神楽保存会の会員が舞うが、それらのいわば専門的な領域以外の行為、すなわち神輿を拝殿に担ぎ出し、それを担いで練り歩き、境内で花取り踊りを披露する等のほか、祭りの挙行に必要な種々の準備を行い、酒食の準備をしてこれを関係者に供し、さらには祭りの経費等を計算して、部落の各戸に割り当て、これを徴収する等の事務は、氏子集団が分担して行っている。言い換えれば、大井河神社の神官(宗教法人の代表者)は純然たる宗教的事項の専門職にとどまり、祭り全体の企画、立案、その執行、経費の徴収等々、いわば祭り実行の事務(前記二のとおり、大井河神社には祭り以外には特に行事がないことからすれば、祭り実行の事務は神社運営の事務そのものともいえる。)は、氏子総代長を中心とする氏子集団が行っているというべきである。

氏子集団のこれら行為と宗教法人大井河神社との関係は必ずしも明らかではないが、氏子集団は右宗教法人の外郭団体的な立場でこれら行為を行っているか、又は、右宗教法人は代表者(神官)は有するものの、その下に祭り実行等の事務を行う内部組織を全く持たないため、氏子集団が宗教法人のいわば事務局的な立場でこれら行為を行っているものと考えられる。言い換えれば、大井河神社は法人格を取得したものの、代表者の下に事務を執行する内部組織を作ることなく、法人格取得前からの神社と氏子集団との関係をそのまま引き継いできたものと考えられる。

右のとおり、大井河神社の夏祭り及び秋祭りが、いわば氏子主導で行われ、神官は氏子により推戴された形で祭りに関与しているにすぎないことにかんがみれば、大井河神社における氏子集団の存在は大きいといわざるを得ない。

(五)  このように見てくると、大井河神社社殿の修復工事について建築業者と請負契約を締結したり、同工事を監督したり、また、同工事費用を調達する等の事務は、正に氏子集団の仕事であったと考えられる。そして、甲第一二号証の請負契約が大井河神社の氏子総代長と建築業者との間で締結されており、同契約締結は大井川部落区長からあらかじめ同意を得たものであったことは、右事実を示すものであると考えられる。

もっとも、乙第二七号証の二には、本件補助金2の請求者、領収者として大井川部落区長名が記載されてはいるが、これに先立って、補助金申請は区長名でするよう十和村から指導があったこと、また、前記事情によれば、同区長は大井河神社の氏子集団の意を受けて本件補助金2を申請したものと考えられること、そして、十和村も大井川部落における右事情を熟知していたことに照らせば、本件補助金2の交付先は大井河神社の氏子集団であると解される。

そして、同氏子集団と宗教法人大井河神社との間の関係(右(四))にかんがみれば、結局、本件補助金2は宗教法人大井河神社に対して支出されたと同視し得るというべきである。

3  また、原告は、本件補助金1の交付先は宗教法人八幡宮である旨主張するので、これについて検討する。

(一)  本件補助金1の請求書に記載されている請求者及び同領収書に記載されている領収者はいずれも、安藤晴義の後任者(平成四年一二月に就任)である芝孝義である。また、本件補助金1に関するヒアリングに出席したのは、安藤晴義である(前記二6)。さらに、八幡宮社殿の修復工事の請負契約書に記載された注文者も、安藤晴義である。

ところが、平成四年当時の宗教法人八幡宮の代表者は、同神社の神官である田辺英夫であり、田辺英夫の氏名は、右各書証を始めとする関連の書証には一切記載されていない。

(二)  しかし、本件補助金が古城部落に対して支出されたのであれば、古城部落の平成四年度の決算書に本件補助金1が計上されるべきであるが、乙第二五号証には同補助金は全く計上されていない。

また、平成四年度、安藤晴義は古城部落の区長であったばかりでなく、同部落の推進委員会の委員長であり、かつ、八幡宮の氏子総代長であった。古城部落では、従前から、同部落の区長と八幡宮の氏子総代長を同一人物が兼務することになっていたのである。

(三)  ところで、古城部落でも、大井川部落と同じく、一応、住民全員が八幡宮の氏子とされているが、実際には、住民のうち、<1>正に神道の信者と考えられる者(葬式を神式で行う者)は六割程度であり、<2>それ以外の住民の大部分は神仏混淆と考えられる者(葬式は仏式で行うが、神道の儀式に列席すること等に特に抵抗はないと考えられる者)である。

しかし、神道以外の宗教の信者が古城部落に転入してくる可能性も否定できないから、古城部落の住民集団と八幡宮の氏子集団は同一とはいえず、代表者は正に同一人物であるものの、右両集団には若干ながら差異があるというべきである。ちなみに、古城部落は行政区画ではなく、法人格を有するものでもなく、古城地区に居住する住民の集団にすぎないから、古城部落すなわち右住民集団であると解される。

(四)  ところで、大井河神社におけると同様、八幡宮の夏祭り、秋祭りの際には、神事(大祓詞や祝詞を上げる等)は神官が執り行い、神楽は神官(故平野寿明神官)又は幡多神楽保存会の会員が舞うが、それらのいわば専門的な領域以外の行為、すなわち神輿を拝殿に担ぎ出し、それを担いで練り歩き、境内で花取り踊りを披露する等のほか、祭りの挙行に必要な種々の準備を行い、さらには祭りの経費等を計算して、部落の各戸に割り当て、これを徴収する等の事務は、氏子集団が分担して行っている。大井河神社同様、八幡宮の神官(宗教法人の代表者)は純然たる宗教的事項の専門職にとどまり、祭り全体の企画、立案、その執行、経費の徴収等々、いわば祭り実行の事務(大井河神社同様、八幡宮には祭り以外には特に行事がないことからすれば、祭り実行の事務は神社運営の事務そのものともいえる。)は、氏子総代長を中心とする氏子集団が行っているというべきである。

氏子集団のこれら行為と宗教法人八幡宮との関係は必ずしも明らかではないが、大井河神社におけると同様、氏子集団は右宗教法人の外郭団体的な立場でこれら行為を行っているか、又は、右宗教法人は代表者(神官)は有するものの、その下に祭り実行等の事務を行う内部組織を全く持たないため、氏子集団が宗教法人のいわば事務局的な立場でこれら行為を行っているものと考えられる。言い換えれば、大井河神社同様、八幡宮も法人格は取得したものの、代表者の下に事務を執行する内部組織を作ることなく、法人格取得前からの神社と氏子集団との関係をそのまま引き継いできたものと考えられる。

右のとおり、八幡宮の夏祭り及び秋祭りが、いわば氏子主導で行われ、神官は氏子により推戴された形で祭りに関与しているにすぎないことにかんがみれば、大井河神社におけると同様、八幡宮における氏子集団の存在は大きいといわざるを得ない。

(五)  このように見てくると、八幡宮社殿の修復工事について建築業者と請負契約を締結したり、同工事を監督したり、また、同工事費用を調達する等の事務は、正に氏子集団の仕事であったと考えられる。

そして、本件補助金1が古城部落の決算書に記載されていない事実、また、本件工事1の総費用四〇五万円のうち、本件補助金1で支払われた残りの一〇五万円については、部落全員が一人少なくとも一日はヒツ役に出ている事実(二日以上出た人もいる。)、それでも足りない分は部落の有志から寄付を受けた事実は、正にそのことを示すものであると考えられる。

もっとも、乙第二八号証の二には、本件補助金1の請求者、領収者として古城部落区長名が記載されてはいるが、これに先立って、補助金申請は区長名でするよう十和村から指導があったこと、また、前記事情によれば、同区長は八幡宮の氏子集団の意を受けて本件補助金1を申請したものと考えられること、そして、十和村も古城部落における右事情を熟知していたことに照らせば、本件補助金1の交付先は八幡宮の氏子集団であると解される。

そして、同氏子集団と宗教法人八幡宮との間の関係(右(四))にかんがみれば、結局、本件補助金1は宗教法人八幡宮に対して支出されたと同視し得るというべきである。

4  右1ないし3の事実によれば、本件補助金1は八幡宮の維持のために支出され、また、本件補助金2は大井河神社の維持のために支出されたものとそれぞれ認められる。

五  ところで、被告は、八幡宮社殿及び大井河神社社殿の各拝殿は、それぞれ地元部落の集会所であり、本件補助金1及び同2は右集会所を確保する目的で支出されたものである旨主張するので、これについて判断する。

前記二認定の事実によれば、拝殿が集会の場として使われるのは祭りの準備や反省の会合の場合であり、それ以外で使用されることはほとんどない上、人数が少なければ、拝殿でなく清浄人おこもり屋が使用され、さらに、推進委員会など神社と関係ない部落の会合は、神社とは関わりない部落の集会所で催される。

したがって、右両拝殿で集会が持たれるとはいっても、大部分が神社関係、特に祭り関係の集会であり、それ以外の集会はほとんどないから、右両神社がその地元部落の一般的な集会所であるとはいえず、本件補助金1及び同2はそのような意味での集会所を確保する目的で支出されたものであると認めることはできない。

六  次に、被告は、八幡宮社殿及び大井河神社社殿の各拝殿は、それぞれ無形文化財たる幡多神楽及び八社神楽が舞われる舞台及び練習の場であり、本件補助金1及び同2は右両拝殿を保護することによって幡多神楽及び八社神楽を保護する目的で支出されたものである旨主張するので、これについて判断する。

1(一)  前記二のとおり、八幡宮社殿の拝殿では秋祭りの際に幡多神楽が舞われ、大井河神社社殿の拝殿では夏祭り及び秋祭りの際に八社神楽が舞われるので、右両拝殿は神楽の舞台としての役割を持つ。しかし、前記二のとおり、これら神社以外の場で神楽を舞う機会もあるから、右両神社の拝殿がなければ、神楽が舞われる舞台がなくなるとはいえない。

また、神楽の練習の場としては、前記二のとおり、平成三年度に幡多神楽殿ができ、以後、幡多神社保存会の構成員は同神楽殿で練習するようになったので、平成四年度以降、八幡宮社殿及び大井河神社社殿の各拝殿には、神楽の練習の場としての役割は全く又はほとんどなくなったものと考えられる。

さらに、神楽を保護、保存するための方法は、それが舞われる舞台を確保することに限られず、他にも、後継者育成の諸方策を始め、衣装や楽器の購入などいくつかの方法が考えられるのであって、実際、被告より前の十和村長は、神楽保護のためにはそれら方法を採っていたのである。

ちなみに、前記二のとおり、幡多神楽は国の無形文化財に、八社神楽は十和村の無形文化財にそれぞれ指定されており、これら神楽が文化財としての価値を有することは十分認められるが、他方、これら神楽が宗教的側面を持つことも否定できない。

(二)  また、古城の花取り踊りは八幡宮の秋祭りの際、大井川の花取り踊りは大井河神社の秋祭りの際、境内ではあるが社殿外で踊られるものであるから、拝殿は花取り踊りの舞台としての役割を有しない。

証人竹内義記は、花取り踊りは通常は境内で踊るが、雨天の場合は拝殿内で踊る旨、また、花取り踊りの練習は夜間に行われることが多く、夜間は拝殿内で練習する旨述べている。しかし、仮にそうであるとしても、世間一般に雨天により決行できなくなる催しは多々あることにかんがみれば、雨天の場合に花取り踊りを踊ることまで考えて、その舞台としての拝殿を確保する必要はないというべきであるし、また、花取り踊りの練習は、拝殿以外の場所でもできるのであるから、その練習のために拝殿を確保する必要もない。

2  ところで、被告は、前記二のとおり、平成三年度、高知県及び十和村の補助金により幡多神楽殿が建築されたことから、十和村内において、神楽の練習のために公金で神楽殿を作ってよいなら、八幡宮社殿の拝殿も大井河神社社殿の拝殿も、そこで神楽の練習をするのだから、その修復のため補助金を出しても許容され、また、本殿も拝殿と不可分一体の建物を構成するのであるから、本殿の修復も可能という声が高まったので、これに従って本件補助金1及び同2を支出した旨供述している。

しかし、前記二のとおり、幡多神楽殿は、幡多神楽保存会が神楽の練習に使用するのみで、星神社の祭りの際の神楽の奉納舞いには使用されない。また、幡多神楽殿の所有者は幡多神楽保存会であって、星神社ではない。さらに、幡多神楽殿を建築するために支出された高知県及び十和村の補助金の交付先も、幡多神楽保存会であって、星神社ではない。このように、幡多神楽殿は、できる限り宗教との関わりを排除して、文化財保護のために設置された施設であるということができる。

一方、被告の右供述及び前記二で認定した事実によれば、本件補助金1及び同2の支出に至る経緯は、左記のようなものであったと考えられる。十和村は、平成三年度の「集落づくり」事業において、いくつかの部落の神社の補修等のために公金を支出し、これが十和村議会において違憲の非難を受けていた。しかし、同じく平成三年度、星神社の敷地内に幡多神楽殿が建築され、その建築資金の一部として高知県から補助金が支出されたことから、右のとおり幡多神楽殿が宗教性を極力排除していることを十分理解しないままに、古城部落において八幡宮社殿を、大井川部落において大井河神社社殿を、それぞれ公金で修復してほしい旨の声が高まった。そのため、被告は、幡多神楽殿建築と八幡宮社殿及び大井河神社社殿の各修復との間には右のような大きな差異が存するにもかかわらず、右の声に答えて、正に八幡宮及び大井河神社を維持するために、本件補助金1及び同2を支出したものと考えられる。

仮に神楽の保護、保存も右両補助金支出の目的のうちにあったとしても、それは附随的な目的にすぎず、また、これら補助金が幡多神楽及び八社神楽の保護、保存のために果たした効果はごくわずかなものと考えられる。

3  以上のとおりであるから、本件補助金1及び同2は、無形文化財たる幡多神楽及び八社神楽が舞われる舞台及び練習の場として、八幡宮社殿及び大井河神社社殿を保護する目的で支出されたものであると認めることはできない。

七  さらに、被告は、本件補助金1及び同2は、それぞれ有形文化財たる八幡宮社殿及び大井河神社社殿を保護する目的で支出されたものである旨主張するので、これについて判断する。

前記二のとおり、平成四年九月、十和村教育委員会から同村文化費保護審議会に対し、同村にある二三の神社のうち八幡宮及び大井河神社を含む二〇の神社について同時に文化財指定の諮問があり、平成六年三月三一日、肯定の答申を受けて、平成七年六月三〇日、右二〇の神社に対し同時に十和村保護有形文化財の指定がされた。

これについて、被告は、十和村に人を惹き付けるには神社しかないと思い、神社の社殿に直接、同村の文化財保護条例を適用するには、十和村にある神社の社殿を全部、文化財に指定するしかないと考え、部下に全国の他の地方自治体の実例を調べさせたところ、そのような例もあるという話だったので、右案を実行した旨供述している。

右の各事実によれば、被告は、特に文化財保護の目的があったわけではなく、むしろ神社の修復等に公金を支出する手段として、右の各文化財指定を行ったものと認められる上、本件補助金1及び同2の支出当時、八幡宮社殿及び大井河神社社殿に対する右指定はなされていなかったことに照らせば、本件補助金1及び同2は、有形文化財たる八幡宮及び大井河神社の各社殿を保護する目的で支出されたものであると認めることはできない。

八  以上のとおり、公金である本件補助金1及び同2は、憲法八九条にいう「宗教上の組織若しくは団体」である八幡宮及び大井河神社の維持のために支出されたものであり、これら公金支出は、一般人に対し、十和村が八幡宮、大井河神社という特定の宗教団体を特別に支援しており、右両神社が他の宗教団体とは異なる特別のものであるとの印象を与え、特定の宗教への関心を呼び起こすものというべきであるから、本件補助金1及び同2の支出は、いずれも憲法八九条に違反する。

また、前記三のとおり、八幡宮及び大井河神社は、いずれも憲法二〇条一項後段にいう「宗教団体」であるところ、本件補助金1及び同2の支出は、十和村が右両神社に対し特権を与えたものというべきであるから、同支出はいずれも憲法二〇条一項後段に違反する。

ところで、被告は、本件補助金1及び同2を支出した際、十和村の村長の職にあり、自らに帰属する権限の行使として右各補助金を支出したのであるから、被告は十和村に対し、違法な右支出により十和村が被った本件補助金1及び同2相当額の損害を賠償する義務を負うというべきである。

九  よって、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求は理由があるので、これを認容することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法六一条を適用して、主文のとおり判決する。

(口頭弁論終結の日 平成一〇年一月三〇日)

(裁判長裁判官 水口雅資 裁判官 加藤美枝子 裁判官 国井恒志)

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